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生まれ育った村は、オルダガン大陸の西方の田舎にある、人口が千にも満たない小さな村だった。
小さな村ではあったが、豊かではあった。年間を通して天候に大きな崩れがなく、適度に雨期もあったので、農作物が豊富に育った。他ではあまり育たない
物までできたので、村人たちはそれを隣の港町に売って生活の糧を得ていた。
その港町とその村はカスティッロ王国とデュッセンブルク皇国の間にあり、一応カスティッロ王国の領地ではあった。しかし王都から遠いため、村人たちは
あまり国を意識していなかった。当然納税はあったが、しかし”王国”という存在は村人たちの生活にまったく影響を与えなかった。
――がしかし、二十五年前のある時、突然村はデュッセンブルク皇国の領地となった。
オルダガン大陸中を揺るがしたカスティッロ王国とデュッセンブルク皇国
の大戦にデュッセンブルク皇国が勝利したからだ。
歴史の紐を解けば、村はかつてはデュッセンブルク
皇国の領地だったらしい。自分が生まれる何十年も前にも同じような大戦があって、その時はカスティッロ王国が
勝利を収めたから、カスティッロ王国の領地になったらしい。
そういう歴史があったからか、どうかは分からないが、デュッセンブルク皇国の領地になったからといって村人たちは
まったく変わらなかった。その事実をすんなりと受け入れていた。
村にデュッセンブルク皇国の騎士たちが駐留していても、まったく気にしなかった。そう、税を納める国が変わっただけで、村はまったく変わらず、
豊かな生活を送っていた。
しかし、ある日、事件が起きた。
それは村にとって前代未聞の事件で、そして村人に恐怖と警戒心を、一人の少年に憎しみを植えつけた。
きっかけはつ酔っ払った騎士と酔っ払った村人の喧嘩というつまらないものだった。
なにが原因で喧嘩をしたのかは分からないが、その時は村人たちが互いを宥めてその場を丸く治めた。
が、しかし、それだけでは終わっていなかった。
その翌日の夜、喧嘩の当事者である騎士が腹いせに相手の村人の家に火を放ったのだ。木造の家はすぐに炎に包まれ、家の者たちも逃げる間もなく
炎に包まれ焼け死んでしまった――たった一人を除けば。
騎士と喧嘩した村人は父親だった。そして腹いせに火を放たれた家は自分の家だった。四人家族の中で生き残ったのは自分だけだった。
その夜は近所の子供たちと星の観察をしに外に出ていた。だから自分は生き残った。ありきたりな物語のように滑稽な理由。
村人たちは自分の家族の死を嘆いた――が、
なにもしなかった。騎士を糾弾することも、
デュッセンブルク皇国に抗議することもしなかった。理由は簡単だ。第二の父親になりたくないからだ。
生き残った自分は王都のほうに住む親戚の家に引き取られた。親戚といっても遠く、ほとんど赤の他人というほど付き合いのない者だったが、村人たちが
強引に自分をその親戚に押し付けた。こうして事件は終わった、というより蓋をされた。
なかったことに、された。自分の家族は村の平和な生活のための生贄にされた。
幼い頃は自分の家に火を放った騎士にも村人たちをも憎んだ。憎んで、人を信じられなくなり、親戚の家でもその後のどんな環境でも孤立していた。
しかし大人になるにつれて村人たちへの憎しみは消えはしなかったが、薄れていった。大人になり、
冷静に考えてみれば村人たちがした対応も「しょうがないこと」と思えるようになったからだ
憎しみはまだ残っているが、それ以上に憎く思うのはデュッセンブルク皇国のあの騎士だ。つまらないことで自分の家に火を放ち、家族を殺した。
自分から温かい家庭を奪い取った。
まだ家族が殺される前の自分の夢は天文学の学者になることだった。学校の先生でもいい、と幼いながらにも将来の夢に思いを馳せ、胸を弾ませていた。
しかし王都に住む遠い親戚の家に引き取られてから、変わった。学者への憧れより騎士に対する憎しみのほうが上回った。
学校は王廷学校に進学した。王廷学校とは将来の国の幹部候補を育てる学校だ。
中でも騎士の教育には力を入れており、自分は迷わずその道に足を進めた。
カスティッロ王国は一応表面上はデュッセンブルク皇国と和平を結んだが、カスティッロ王国は常に
再びの宣戦布告の機会を狙っている。どちらかの国が完全にどちらかの国に支配されない限り、両国の戦はいつまでも繰り返される。歴史を見ていけば、それは
火を見るより明らかなことだ。だから、志願した。再び訪れる戦の時のために。
そして入団して五年後――その時が来た。
カスティッロ王国現国王が自分たちを呼び、今回の任務を下した。
デュッセンブルク皇国の要であるタトュの村を焼き払え、と。
デュッセンブルク皇国はタトュ民族である”神問いの子”の力で今まで戦に勝ち続け、今の姿になっている。
ならば”神問いの子”がいるタトュの村を焼き払い、”神問いの子”を殺してしまえ。それがデュッセンブルク皇国に対する宣戦布告だ、と残忍な笑みを浮かべて言った。
その命令を聞いた瞬間、胸が震えた。無意識に唇は笑みの形を作り、久しぶりに心から笑った。
すでに国王は他の国々と秘密裏に同盟を組み、デュッセンブルク皇国に侵攻する準備を整えてあるらしい。
あとは宣戦布告するだけ。あの村を焼き払うだけ。
迷いもなく剣を一線に薙ぐ。
腕に鈍い感触が伝わる。
視線をあげると、赤い色が目に入った。色を認識した瞬間、頬にべとりと生暖かいものが触れた。
つい今しがたまでよく喋り、よく表情を変えていた禿頭が宙を舞って、重い音をたてて地面に転がった。
やっとデュッセンブルク皇国に剣を向けることができる。
やっとこの胸に植えつけられた憎しみを晴らすことができる。
迷うことなど、あるわけがない。
「ご苦労さまだったな」
物を言わなくなって静かになった禿頭に向けて、ガランが残忍な笑みを浮かべて言う。
クラヌスは剣を振って血を払い鞘に収める。眼鏡の奥の瞳にはなんの感情もなかった。
「行くぞ、クラヌス」
「――はい」
物言わぬ禿頭に冷ややかな一瞥をくれ、二人は屋敷を後にした。
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