「――”神問いの子”がアヴトゥルナ神に初めて声を届けたのが十四の時だったそうです。十四でその力に覚醒した、ということです。 ですから”神問いの子”は十四年に一つ歳をとるそうです。不老長寿というのでしょうか、”子”――タトュの村では”神問いの子”を略して”子”と呼ぶそうです――は、 我々の感覚で二十五歳くらいまで生きるそうです。およそ二十五歳の時に初潮しょちょうを迎え、神と交わり、新たな”子” を残し、そして”子”は老いることなく亡くなるそうです」
馬車の幅狭い椅子に背筋を伸ばして座っている黒髪の男が静かな声で語った。年の頃は四十代前半。黒い髪を後ろに撫でつけ、露になっている額にいくつかの髪の筋が垂れている。
切れ長の細い目に、やや高い鼻に薄い唇。細い身体に深い緑色の詰襟つめえりを隙なく着こなし、 年相応の凛とした静かで厳しい雰囲気を身にまとっている。
「ふん…まるでお伽話だな。こんな話を信じろというのか?」
黒髪の男と向かい合わせに座っている金髪の若い男が鼻を鳴らした。
金色の短い髪に、日に焼けた肌、緑色の瞳には意思の強そうな光が宿っている。頬骨の高い痩せた頬に、厚い唇。 こちらは深い赤い色の詰襟をだらしなく着ているが、男からは粗野な印象は受けず、不思議なことにむしろその中に品の良さがにじみ出ている。
「信じる信じないではないのです。本当のことなので」
明らかに自分より年下の相手であるのに黒髪の男は金髪の男に丁寧な言葉を使う。
「神の子、不老長寿――“神問いの子”か。くだらないな、ヴァンデスキー卿。おまえら軟弱なんじゃくな文官が好きそうな話だ」
冷たい嘲笑ちょうしょうを浮かべて向かいに座っている男、ヴァンデスキー卿を見下すように見る。
「三日間の長旅で疲れていらっしゃるのか、それとも同行者が私なのが気に入らないのか、どういう理由があるか分かりませんが、 村に着いたらそのような発言は控えてください。あなたも我がデュッセンブルク皇国の代表なのですから、ゼルファ皇太子」
最後の皇太子をやや強調して言うと、ゼルファはわずかに顔をひきつらせた。
外務卿がいむきょうのくせに、俺を馬鹿にしているのか?」
「それとも、そんなに皇位を継ぐのが嫌なのですか?」
ゼルファの言葉を無視して畳みかけるように、しかし相変わらず静かな声で訊く。
「――…」
「あなたがどんなにうつけ者を振舞っていても無駄ですよ。次期皇帝になられるのはあなた様だ」
ゼルファを真正面から見てはっきりと告げると、ゼルファはまるで仇のようにヴァンデスキー卿を睨みつける。
腹の奥底から溢れそうになる言葉たちを噛み殺すかのようにきつく奥歯を食いしばるが、 その緑色の瞳が雄弁ゆうべんに言葉をぶつけている。
何故おまえらは俺を選んだのだ?何故皇位継承権から最も遠かった俺を選んだのだ? 俺が皇位を望んでいなかったことを知っていたくせに!おまえらはなにを考え、なにを企んでいるのだ、と。
疑惑と憤りを含んだ強く厳しい目線をヴァンデスキー卿は気付いていないかのように平然と受け流していた。
呼吸の音でさえ存在をひそめるほど張り詰めた沈黙が二人の間を支配する。
ややあってゼルファはちらりと自分の隣と、ヴァンデスキー卿の隣に座っている騎士を横目で見た。 二人とも冷や汗を流しながら固唾を呑んでこの空気の行方を見ていた。
ゼルファは強く舌打ちをしてそっぽを向く。一般の騎士が同席の話をするべきではない、とわずかに残っていた冷静さで判断したのだ。
そんなゼルファを見てヴァンデスキー卿は何事もなかったかのように話始める。
「話がズレましたね。先ほどの話の続きですが、“神問いの子”は我々で言う“戦御子いくさみこ”でございます。 知っての通り、アヴトゥルナ神は戦と慈愛の神で、その子供であらせますから、戦闘能力は高く、 そして神と同等の能力を持つと言われております。私は近くでみたことはないのですが、なんでも天候をも支配する力を持っているそうです」
様子を窺うように一度言葉を切るが、ゼルファはなにも反応を示さなかった。
「“子”は神の言葉に従い戦場に赴き、神の声を我々に伝え勝利へと導いてくださいます。 我がデュッセンブルク皇国がオルダガン大陸最強の、いえ、世界的にも最強の武力国家であり、世界でも五指に入るほど巨大国家でいるのは、 影の“神問いの子”の力があったから、と言っても過言ではございません」
「……」
ゼルファはなにも言わないで外の景色を見ていた。言わない、というより言うのを堪えているようである。 頬杖をついて口元を隠しているが、膝の上に残っている左手はきつく拳を握り、わずかに震えている。
おそらく今なにか口を開いてしまったら、噛み殺してきた言葉を言ってしまうのだろう。それをぐっと堪えるために口をつぐんでいるのだろう。
「“神降祭”は毎年初代“神問いの子”の誕生日、つまり明後日から行われています。 不思議なことに代々の“子”は必ずこの日に生まれるそうです。“神降祭”の一日目では“神問いの子”の誕生日を祝い、 二日目にアヴトゥルナ神に一年の平和とご加護を願います。 そして三日目の朝、“神問いの子”を連れてカヴァリラステーネに戻り、皇帝陛下と、 そして今年からは後継者でありますゼルファ様の前で今年一年の予言をいただきます。 この時“神問いの子”に認められればゼルファ様は正式に後継者となられます」
「――」
「まぁ、今まで覆された前例がございませんので、ゼルファ様が認められないということはないでしょう」
その言葉にゼルファの身体が大きく反応をした。 身体が強張らせ、横目でヴァンデスキー卿をきつく睨みつける。再び張り詰めた剣呑な空気が訪れようとした時、ゆるやかに馬車が止まった。
「失礼します。ゼルファ様、ヴァンテスキー卿様。今から十分ほどの小休憩をとります」
馬車の扉を開け一人の騎士がそう伝える。外の空気が入ったおかげで中で張り詰めていた空気が弛む。 ずっと身を固くして息をひそめていた二人の騎士は安堵のため息をついた。
ゼルファはなにも言わず乱暴に立ち上がって外に出る。その際に強く扉を蹴り、その音に二人の騎士が同時に身を竦めた。
「おまえたちも外に出ていいですよ。ずっと狭い馬車の中で座っていて疲れたでしょう?」
一人静を保っているヴァンテスキー卿が柔らかい口調で二人を外に出るよう促す。 二人の騎士は逆らわず引き攣った声で「はい!失礼しますッ」と言って外に出た。 一人残ったヴァンデスキー卿は伸ばしていた背筋を背もたれに預けて、深いため息をつく。
「やれやれ、困ったお方だ…」

 「あーーーっついぃ。なぁにしてもあーーーついぃ」
網膜を刺すような陽射しに金髪の若い男が声をあげる。年は二十代前半頃。
短い金髪にやや垂れた緑色の目、すっきりとした鼻梁びりょうに、大きな口。 左右の耳にはいくつものピアスが飾ってある。こめかみから頬にかけて汗が伝い、 灰色みがかかった青い詰襟にいくつもの染みを作っている。
「こんな暑い南の地で皇服だけでも暑いっていうのに、簡易とはいえよろいを着けているなんて、 俺ら馬鹿みたい…」
そうぼやいて水筒に口をつけて水分を補給する。少し残して水筒をしまうと詰襟の襟の部分をつまんで、少しでも涼しくなるよう扇ぐ。
「言うな、カナン。ここにいる全員が少なからず思っていることだ」
隣に座っている黒髪の、同い年くらいの男がうんざりしたような声で言う。
黒い髪は肩の下まであり、透き通るような白い肌に、切れ長の黒い目。頬骨の高い痩せた頬に、整った鼻梁に薄い唇、と中性的な整った顔立ちをしている。 細い身体にはカナンと同じ灰色みがかかった青い詰襟を着ている。
「なんで皇服ってこんな厚い生地で作られているんだろ?ていうか、なんで一種類しかないんだろ?なぁ、ユアン。 北のガーフェルク王国みたいに一年中寒い国なら話は分かるぞ?だけどうちは春夏秋冬ばっちりあるんだ。 寒い季節もあれば暑い季節もあるんだ。なのに一年通してこの厚い生地の長袖って、どういうこと?俺、いますぐ城の仕立て師に文句つけたいよ」
身に纏っている詰襟を見ながら深いため息をつく。
皇服とはデュッセンブルク皇国の皇宮に仕える者全員が着る、いわば制服である。
詰襟に腕にデュッセンブルク皇国の基本は刺繍ししゅうほどされたデザインで、あとは役職によって色やデザインがやや違う。
大きく分けると文官と武官、そして皇族と三つに分けられていて、色は文官は深い緑、武官は灰色みがかかった青、皇族は深い赤。
階級などは肩当てや胸についているピンバッチによって違いが分かるようになっている。
「言ったところで無駄だろうな。俺らみたいな一般兵の言うことなんか右から左だよ」
「だよなぁ。あー、俺、馬車のほうに回りたい。陽があたらないぶん馬車の中のほうが涼しいもん」
膝の間に顔を埋めるカナンに黒髪の男、ユアンは苦笑いを浮かべる。
「…涼しいが、違う意味できついだろうな」
なにか含むような言い方にカナンは意味を取りかねて、なんのことだ、と小首を傾げたが、すぐに納得したように「あぁ…」と声を漏らした。
「そうか、アレね」
言葉の意味を察したカナンも苦笑いを浮かべる。
ゼルファの文官嫌いは有名な話だ。 根からの武人であるゼルファには文官の考えていることが理解できないのだろう。
その文官の中でも、特に苦手意識を持っているのが今同席している、外務卿のヴァンデスキー卿である。
その二人が今一緒にいる。二人とも国の代表として。
今向かっているタトュの村は人口二百人程度の小さな村で、デュッセンブルク皇国の領地内にあるが、”神問いの子”の存在のおかげで自治権を持っている。
世界的にも地図的にも見るとデュッセンブルク皇国となるのだが、 自治権があるためデュッセンブルク皇国の中にある一つの小さな国、というような扱いになっている。
故に”神問いの子”の恩恵を多大に受けているデュッセンブルク皇国は、”神問いの子”の誕生日をも祝うこの祭りに必ず国の代表を派遣させる。
ヴァンデスキー卿は外務卿であるから、当然のこととして、今年はゼルファが一緒なのは、これはゼルファが皇位継承者になったことを示している。
とこのような理由で二人が一緒にいる。しかし当然二人の間には会話はなく、会話があったとしてもそれは穏やかとは程遠い、聞く者の心臓を悪くする 言葉の応酬おうしゅうであり、同席した同僚の騎士たちは必ず神経を磨耗まもうさせていた。
「そういえば、ゼルファ様が皇太子に決まってうちの隊が護衛に選ばれた時、他の隊の奴らが思いっきり同情してくれたよ」
一週間前のことを思い出してカナンは苦笑いを浮かべる。ゼルファが皇太子に選ばれたのも、そして今年の祭りの護衛をする隊も決まったのが一週間前。
二人が所属しているのはデュッセンブルク皇国第四隊のその中の十班である。 デュッセンブルク皇国は六千人以上もの皇宮騎士団員を抱える、オルダガン大陸――いや世界的にも 大規模な武力国家である。
皇宮騎士団は大きく分けてでも三十隊あり、その中でさらに三十人前後の班がある。
毎年神降祭には護衛に一隊の中の一斑だけが選ばれる。護衛対称が一人ないし二人と少人数であるのと、”神問いの子”の存在をあまり公にしたくないからである。 一隊に三百弱の人数がいるものだから、一隊を引き連れて行けばたとえ領地内の移動だといえど目立つ。故に一隊の中の一斑だけを選んで護衛につける。
そして今年の白羽の矢が見事ユアンとカナンが所属している班にたってしまったのだ。
「しっかし、次期皇帝がゼルファ様、か…。ぴったりといえばぴったりだけど、問題が多そうだな」
カナンは難しい顔をしてちらりと横目で遠くにある馬車を見る。
「そうだな。第一皇子のエドリック様も第二皇子のガルフ様も、黙ってはいないだろうな」
ユアンも頷いて馬車のほうを見る。
「特にエドリック様は面白くないだろうな。自分の本当の弟が選ばれたんだから」
「だな…」
第一皇子のエドリックとゼルファは同じ正妃の子供であり、本当の兄弟である。 前々からゼルファは自分は皇位を捨てて軍籍に降りる、と公言していた。 それなのについ一週間前に行われた重臣会議で次期皇帝、皇太子に選ばれたのはゼルファだった。
この結果はユアンたち一般の騎士も、皇宮に勤めている一般の者も驚きを隠せなかった。 誰もが正妃の子である第一皇子のエドリックに決まると思っていたのだ。
ゼルファはすぐに皇位継承権を棄権すると皇帝に申し立てたが、受け入れてもらえなかった。皇帝も次期皇帝はゼルファと考えていたのだろう。
結局この結果を覆すことはできず、一週間が経ち、ゼルファは国の代表としてタトュの村に向かっている。噂によるとゼルファを強く推したのは、ゼルファ が最も苦手としているヴァンデスキー卿で、二人の間に深い確執があることは見て分かる。
「ユアン!カナンッ」
二人が無言で馬車のほうを見ていると、後ろから声がかかった。同時に振り向くと二人の同僚が立っていた。
「ジェノ分隊長からのお達しで、俺らと馬車の護衛交代だって」
その言葉に二人は嫌そうに顔をしかめた。
「本当かよ…」
心底嫌そうにカナンが呟くと、同僚二人は解放感に満ちた笑みを浮かべた。
「本当、本当。ま、あと二時間あれば向こうに着くっていうし、頑張れや」
お気の毒様、と付け足して二人は軽い足取りでさっきまでユアンとカナンが乗っていた馬に近付く。
「噂するもんじゃないな」
諦めたようにため息をついてユアンが言うと、カナンは力なく項垂れた。
向こうのほうでジェノ分隊長が休憩終了の号令をかけた。

 ゆったりとした雰囲気と時間にうとうととまどろんでいると、部屋を仕切る帳が開いた。マオはその音に気付いて顔をあげると、 そこには若い男が立っていた。背が高く、肩まである髪を後ろで一つに結わいている。褐色の肌に切れ長の一重の黒い目。その目が ややきつい印象を与える。
「イル…」
二つ年上の婚約者の姿にマオは自然と柔らかい笑みを浮かべる。
イルと呼ばれた男は婚約者の顔を見ても無表情で、ちらりとマオの膝の上で眠っているリネを見る。
「ふふふ。ちょっとお話していたら眠っちゃった」
リネの柔らかい髪を撫でながらマオは小さく笑う。
「そうか…それより、デュッセンブルクの方がつい今しがた森に入ったそうだ。あと二時間ほどでここに着くだろう。 そろそろ神殿に戻って支度をしないと」
抑揚のない声で事務的に伝える。マオはもう慣れているらしく、「そう」と頷いてリネを起こさないようにそっと立ち上がる。
部屋を出るとマオは小さなため息をついた。
「――今年も”神問いの子”がいないでやるのね」
「そうだな」
やはり無表情に頷くとマオは困ったような笑みを浮かべた。
「今年もまた身代わり。いつまでこんなことしなければいけないのかしらね?」
イルの身体に腕を回して甘えるように胸に頭を預ける。イルもマオの細い身体を柔らかく抱きしめて、黒く艶やかな髪を指でく。
「――”神問いの子”は、本当にいるのか?」
「それ、どういう意味?」
マオは胸から顔を離して小首を傾げる。
「いや、少し…神と人間との子供、神の声を聴く者。”神問いの子”という存在が本当にいるのだろうか、って思っただけだ」
ゆるく頭を振ってイルはつまらなそうに言う。もし他の村の者――特に老人が聞いたら激昂しそうな言葉だ。
「いるわ。いなければ私がしていることが意味ないじゃない」
自分のことを否定されたようで、マオはやや頬を膨らませてそっぽを向く。
「そう、だな。悪かった」
イルが相変わらずの口調で短く謝ると、マオは悪戯いたずらをしたような笑い声をたてた。
「まぁ、”神問いの子”を見たことがない私たちにとって、あの話はお伽話みたいなものだからね」
再びイルの胸に頭を預ける。優しく髪を梳く手の感触に、マオは先ほどのリネのようにうっとりと気持ちよさそうに目を閉じる。
「いるなら早く戻ってきて欲しいわ。そうすればこんな思いしなくて済むのに…」
吐息交じりの囁くように言うマオに、イルは「そうだな」と頷いた。
「私も、だ」