生まれた時からユアンの側には当たり前のようにカナンと、マクスヴェル家の家族がいた。
ユアンはなにも疑問を抱かずにカナンを双子の兄弟だと認識していたし、今の母親が本当の母親であると疑わなかった。
しかしそうであるわけがない。
ユアンとカナンはまったく似ていない。髪の色も違うし、瞳の色も違う。
そして母親と父親の容姿を受け継いでいるのはカナンのほうだった。父親も母親も髪の色は金で、
父親は青い瞳をしているが、母親はカナンと同じ緑の瞳である。
それに対しユアンは、髪の色も瞳の色も黒だった。マクスヴェル家には黒髪に黒い瞳は誰一人としていなかった。
それでも幼い自分は何一つ疑わなかった――が、周りは違った。
ある日近所の子供が、ユアンとカナンにこう言った。
『兄弟なのに全然似ていない』
と。ユアンだけが違うね、とも残酷な現実を告げた。
そんなことない、と声をあげるとその子供は唇を尖らせて「そんなことあるって!」と言い返してきた。
『だってカナンはおじさんとおばさんと同じ金色の髪をしているのに、ユアンだけ黒い髪してるじゃんかッ』
その言葉になんとも言えない衝撃を受けた。
頭を鈍器で強く殴られたような、そんな衝撃。
尚も違うと声をあげたかったが、声が喉の奥に詰まってできなかった。その子供は言いたいことだけ言って何処かへ行ってしまった。
何故今まで気付かなかったのだろう。
こんなにはっきりとしているのに。
何故今まで疑わないでいたのだろう。
疑う?なにを?誰を?
何故――…?
ユアンはすぐに母親の所に行き、何故自分だけが髪の毛が黒いのかを訊いた。ユアンとカナンは兄弟のはずなのに、双子のはずなのに
まったく似ていない、髪の毛も瞳の色も違うのは何故だ?何故カナンだけが髪の毛が金色なのだ?と。
母親は必死に隠そうとした。隠そうとしたが、ユアンの問い詰めに負け、すべてを話した。
ユアンは近所に住んでいた知り合いの女性の子供であること。そしてその女性はユアンを産んで間もなく亡くなり、
かねてからお願いされていて、ユアンを引き取ったのだ、と。
だからユアンだけ髪と瞳の色が違う――血が繋がっていないのだから当然だ――けれども血は繋がっていなくとも、私たちは家族だ。あなたは私の
大事な子供だから、と母親は何度も言い聞かせた。
けれども母親の言葉はユアンには届かなかった。むなしくすり抜けた。
自分が本当の息子ではないこと。自分がカナンと本当の兄弟ではないこと。自分だけが違うということ。
それだけがユアンを支配して、ユアンを絶望の暗闇に落とした。
母親を、父親を信じられなくなって、そして急に自分の居場所がこの家になくなってしまった気がして、ユアンはしばらく心を閉ざして誰とも話そうとしなかった。
事情を知らないカナンはどうしたのか、とユアンの急な変化に狼狽し心配したがユアンはそれが疎ましく、憎かった。
今思えばお門違いなことでも、その時のユアンはカナンがどうしても憎かった。兄弟なのに、兄弟なはずなのに、本当のマクスヴェル家の子供はカナンだけ。
自分は違う。違う母親がいて、その母親の顔すら知らなくて、そしてカナンはそれを知らない。それが憎くてしょうがなかった。
自分を心配するカナンが疎ましくて、憎くて――その限界を越えた時、ユアンは感情に任せて声をあげた。
カナンとは本当の兄弟ではない、自分だけが違う、おまえが憎い、そんなことを身体に渦巻いていた怒りのまま憎しみのままぶつけた。
言われたことの意味が分からず茫然としているカナンに母親から聞いたことをすべて明かした。自分だけが違う、ということを。
そのことにカナンもショックを受けたのだろう。しばらくカナンはなにも言わなかった。二人の間に気まずい空気が流れた。
するとカナンが突然泣き始めた。ユアンは何故カナンが泣くのか分からなかった。
カナンは涙で歪んだ顔で「兄弟じゃなかったら、ユアンは何処かに行っちゃうの?
俺たちもう一緒じゃないの?」と言った。それが嫌で、悲しくて泣いたのだという。
本当の兄弟ではないから、何処かへ行ってしまうのか。そこまでは考えていなかった。ただ、自分だけが違う、そのことにショックを受けて、悲しくて、
八つ当たりのようにカナンたちを憎んで――気がつけばユアンも一緒に泣いていた。
血は繋がっていなくとも、自分だけが違っていても、この家から離れるのは嫌だった。自分が信じていた家族と一緒にいたい。
そう心の奥底から思えたら、もう血の繋がりだとか、そういうのはどうでもよくなってきた。母親が言ったように、血は繋がっていなくとも、私たちは家族だ。
自分たちは家族なんだ、と思えるようになった。そして、そう言ってくれた母親に心から感謝をした。
これでいい。これがいいんだ。血が繋がっていないことはまだショックだったが、時間が徐々にユアンを癒していった。
――しかし、
「貴方にそっくりなクナデ様、血の繋がっていない兄弟。これらから導き出されること、私が言いたいことはもう、お分かりですよね?」
真っ暗闇の中、ヴァンデスキー卿の声だけが響き、そしてユアンの中でなにかが音をたてて崩れた。
その瞬間、
頭の中に、なにか衝撃が襲った。
すべての感覚が閉ざされて、自分の内側だけになってしまったような、感覚。
痛いくらいに背筋が粟立ち、心臓が締め付けられ、息を鋭く飲み込んだ。
『 ッ』
閉ざされた自分の内側を切り裂くような悲鳴が襲った。
「あぁぁああぁぁあぁッ」
その悲鳴に呼応するように、気付けば自分も悲鳴のような苦しい叫び声をあげていた。
「ユアン?!」
カナンが驚き声をかけるが、身体が制御できないほど震えてカナンのほうを見ることができなかった。
「あ…あ、ぁ…」
身体の奥底から熱いものが込みあげてくる。
怒り、憎悪、苦痛――それらがすべて綯い交ぜになってユアンを浸蝕する。
『 』
どこから聞こえるのか、男とも女とも区別がつかない不思議な声が響く。
「わ、たし、の…」
「ユアン?」
「私の愛し子に、手を出すな」
次にユアンから漏れた声は、憎悪に満ちた低い声だった。
ユアンは震える手をあげ、ヴァンデスキー卿を指さす。
「西から暗雲が訪れ、我が聖域を汚すだろう。それは血の色。そして既に一人の子供が侵入者の手にかかった――このことをグレイクに伝えよ」
そう言い終わると、ユアンの意識は糸が切れたかのように途切れた。閉じた視界の中、あの夢で見た女の姿が見えたような気がした。
「ヴァンデスキー卿様、それは本当ですか?!」
ヴァンデスキー卿の話を聞いてグレイクが深い皺が刻まれている目を大きく見開く。
「――はい。私はよく分からないのですが、ユアン・マクスヴェルが突然そのようなことを言って…」
未だ起きつつある事態が飲み込めない表情でヴァンデスキー卿が頷く。グレイクは嬉しそうな、安堵したような、そして告げられた言葉に対する
恐怖がまざった表情を浮かべて深く息を吐く。
「お告げです…これはアヴトゥルナ神からのお告げです。やはりユアン様は…あぁ、いや、いや、呑気にしていられません。そのお告げの通りならば
この村に災厄が訪れるのですね。すぐに村の者に知らせて警戒態勢をとらせなければ…」
そう言って息を吸い込み、まっすぐにヴァンデスキー卿を見る。
「いや、でも本当にこれでユアン様が”神問いの子”であることに間違いはなくなりましたな。すぐに覚醒させなければ。災厄が襲ってくるのならば”神問いの子”の
力は必要不可欠です。今、ユアン様はどうしているのでしょうか?」
「今は自室で眠っております。そのお告げの後すぐに気を失ってしまったので」
グレイクは神妙に重々しく頷く。二人の間に緊張の糸が張り詰める。
「では、すぐに村の者を手配して…ユアン様を神殿へ」
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